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  • 2009.11.03 Tuesday
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土地問題に於ける思考の陥穽

 八ヶ岳南麓の高原は本当に素晴らしい。正直これだけの雄大かつ繊細な高原景観と新鮮な空気・水・緑という自然環境をもつ地域は、日本広しと言えども稀ではないかと、私は思っている。世界遺産にしようと声があがるのも、決して大逸れた話ではないだろう。
 が、その素晴らしい自然環境と高原景観は、いま、殊に別荘地開発によって、厳しい事態に立ち至っている。
 私は、八ヶ岳高原に魅せられ、東京から移住した経験者として、こんにちもこの地に魅せられ別荘を求める人に対しては同じ仲間のような親近感を覚えるものである。エールを送りたい気持ちもある。
 だが、一方で、世界遺産にもと願う意識は、この八ヶ岳高原の開発は、別荘であれ何であれ、もう飽和状態に近づいているのではないかと、考えているのもまた事実だ。

 で、個人的には、<森の中の小さな家>といった風情を担保するには、一区画が2千平米(約666坪)以上、必要であると実感しているのである。一区画がこれほどの面積であれば、分譲地全体としての自然環境・高原景観は担保されるように感じている。もちろん、これは、さらに一分譲地の最大面積の制限や緑地帯を設けるなど他の条件を満たした上での話である。
 が、これは私個人の願望であり、推論であって、これには、大気汚染や汚水や動植物の生態系の破壊といった観点、さらには竜巻や山津波など風水害といった自然災害の観点からの、専門家による学術的な調査やシミュレーション等が必要であろう。いったい、八ヶ岳高原の自然環境と高原景観は、どこまでそれらに耐えられるのであろうか。

 とは言え、現状の500平米(約160坪強)といった基準では少なくとも「高原景観」は殆ど崩壊するであろうことは専門家によらずとも断言できると思う。叙情溢れる小説や詩などたくさんの作品を残し八ヶ岳高原を愛してやまなかった四季派の堀辰雄や立原道造といった作家や詩人が生きていたら絶望するであろうほどに「高原が滅びる」ことは間違いないと思われる。
 
 おそらく既に別荘・別荘地を所有していたり、移住してきた人たちもまた、現状の500平米(約160坪強)では、如何せん、「高原景観」を担保するには至らず、また「自然環境」の面でも不安を感じているのではないだろうか。

 ここまで事を考え進めるとき、思考や意識感情の上で、一つ大きな矛盾に突き当たるのである。
 それは、自ら必要条件を満たしていない者が、他者にそれを要求するのは、公平さに欠けるのではないか、単なるエゴではないか、という問題である。
 
 この思いが、自然保護を訴える人たちの間でさえ、自然環境と高原景観を守るために最低限必要と思われる条件を明確に強く主張することに躊躇いを生じせしめているように思われる。−−が、実は、私はここに、思考の陥穽をみるのである。

 たしかに、現所有者とこれから所有しようとしている人という両者を対比して考えれば、現所有者の上記の判断なり要望なりは、身勝手とも言えよう。自分自身は100坪しか購入・所有していないのに、他者には200坪以上さらには333坪(千平米)以上の購入・所有を求めるのはあまりにも身勝手に過ぎると言われても仕方あるまい。

 だが、事は、上記にも書いたが、新鮮な空気と水と緑という「自然環境」の保全という観点、そして高原の風情を漂わせた「高原景観」の保護と育成という観点、さらには<災害予防>という観点から問題を捉える必要もあるのではないだろうか。
 実際、AさんとBさんの間に於いて公平であるかとの観点も大事だが、こんにちの開発の実態をみるとき、これから土地を所有しようとするBさん自身の土地所有の在り方が、高原全体の土地利用に於いて、自然環境と高原景観の保護、そして災害予防といった観点から望ましいか否か問われるのは致し方ないと、私は考える。
 いままでは許されていた行為が、ある時点を契機として許容されなくなるというのは、喫煙の問題にもみられるとおりであり、いわば<遅れてきた者の不運>と言ったらいいだろうか。
 その人たちには気の毒だとは思うが、「地球温暖化」というこんにちの時代状況の中で求められる環境保護と災害予防の基準は大きく変化してしまったのであり、それは、既得権益者と非既得権益者との間に於ける<公平性>の問題で判断すべき事柄ではなくなってしまったのである。
 <エコ時代>のこんにちに於いては、やはり、自ずから客観的な基準というものが定かになってくるであろうし、それを土地利用、土地売却・購入の指針にしなければならないと、私は考えるのである。
 その意味で、たとえ現在100坪の土地しか所有していない人も、エコ時代に即した土地利用の在り方について率直にもの申すべきではないかと私は思う。自ら体験し、痛感したからこそ本来あるべき姿について、明確に語るべきではないのか。

 とにかく大切なのは、もうこれ以上、自然を痛めつけないことであり、景観を壊さないことである。
 幸い、未だ八ヶ岳高原は、他の観光地に比して、自然が豊かであり、景観の美しさを誇れるギリギリのところにあるが、それを今の子供達の世代に、さらに後世の人たちに伝えていく責務が私たちには存してあると私は考えるのである。それこそが最も優先されるべき思考のスタンスではないだろうか。
 その意味でここは「思考の陥穽」にはまって沈黙している場合では決してない、と私は思わざるを得ないのである。

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